先細りといわれる翻訳家、それでも私が翻訳家になりたい理由。

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「翻訳家になりたいんですっ!」っていう話をすると、大抵返ってくる(もしくは言わなくても顔に書いてある(ように感じる))のが「最近は機械翻訳の精度も高いしね〜。人の翻訳ってあんまり将来性ないんじゃ…」という反応。

確かに。それは、私も全く思わないわけではない。

AIの技術がどんどん上がっていて、何年か前からGoogle翻訳の精度が格段に上がったとかいう話もよく耳にするし、実のところ、少し前から仕事でクラウド翻訳サービスの提供に携わっているので、機械翻訳の進歩には目を見張るものがあると思う。

それでも、私は翻訳家になってみたい。

そもそも、私が「翻訳家になりたい」と言い始めたのは、もう10年以上さかのぼった高校3年生の頃だったと思う。

“言い始めた”としたのは、実際にどれだけ本気で思っていたかというと、それほどでもないから。「いつか(たとえそれが老後でも)できたらいいな」くらいのもので、「夢は?」ってきかれたときに、パッと答えられるものがあると便利だったから(さっぱりしてました)。

とはいえ、無数に職業がある中で、翻訳家を選んだのには、その当時から何か惹かれるものがあったんだと思う。

「好きなことは?」って聞かれたら、まず思い浮かぶのが「英語」。

なんでかは分からないけど、昔から英語の”音”が特に好き。聞いてるだけでも、心の中で読みながら文字を追ってるだけでも、無性にワクワクする。

明確に説明できる理由なんてないんだけど、心がワクワクする。でも、好きってそういうもんかなとも思うんです。

それから、「言葉」も好き。

無類の本好きってほどではないから説得力にかけるところがあるけど、大学では言語学の世界にのめり込んでいたし、前職のライターの仕事も楽しくてしょうがなかった。

英語と言葉。

当然、英語を使った接客業も楽しかった。

だけど、対人の場合、表情とかジェスチャーとか、言葉意外にも思いを伝える手段がたくさんある。

それが、ひとたび文章となると、読み手の理解度に合わせて言葉を変えたり、補足したり、なんとなく雰囲気で伝える、みたいなあいまいさとか逃げ場がない。

「言葉」一本で勝負していく感じが、かっこいい。

翻訳って、誰が訳しても同じになるって思ってる人も多いみたいだけど、全然そんなことない。

同じ内容を伝えていたとしても、どんな単語を使うか、どんな順番でつなげるか、それだけでも全然違ってくる。だからこそ、翻訳者の個性が出るし、それこそ腕の見せどころ。

最近は、マーケティング翻訳とか、トランスクリエーションとか、ただ訳せばいいっていうんじゃなくて、より自然でこなれた、センスのある翻訳の需要も増えてるらしい。

それこそ機械翻訳にはまだなかなか出せない部分でもあると思う。

あとは、単純に手に職があるっていうのがいいなぁって。翻訳者なら、パソコンひとつで、どこにいても仕事ができるっていうのが、自由な私の生き方にぴったりだと思う。

ひとりでコツコツやるわけだから地味といえば地味なんだけど、正解のないクリエイティブな仕事はやりがいがある。

実際どれだけの人の手に渡るかは置いておいても、自分の作品を世の中に残していく。

この、可能性無限大!って感じがなんとも好き。

うん。

万が一翻訳家としての需要がなくなっても、世界に言葉がある限り、道はいくらでもある(はず)。あとは、自分次第でしょう!(そうだ、そうだ!)

というわけで、いくら翻訳者の需要は先細りと言われても、やっぱり私は翻訳者になってみたい。

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